酒税法3(合格の土台)
こんにちは。草野です。
今回は、酒税法1と酒税法2の続きとして書きます。
成功の土台、なんとも大げさといいますか、
そんなんで成功っていってるのと言われてしまいそうですが、
合否だけを基準とした場合、合格イコール成功という意味で、このようなタイトルにさせて頂きました。
合格までの時系列としては、今回の内容が前提にあって、前回までに書いた酒税法1と2がある、という流れです。
1.成功した2時間の土台
①どうしても合格しなければならなかった。
②実質2年目だった。
試験を受けたのは3回ですが、1年目は、3ヵ月間の独学、かつ、ほぼ学習せずで受験。それでも合格するつもりで受験。
今、この2021年現在でも、初めて受験した時の2時間は、感覚として、過ぎる早さが一番でした。3分ぐらいに感じました。
何もできない。こんな時間(2時間)で、完答できる人がいるのか。
圧倒的な力不足を感じました。
しかも、解答速報を見たら、簡単な回であった(合格が簡単という意味ではなく問題が)。
ほぼ100点が合格の条件などと書いてありました。
えっ。これで簡単なの。2時間でほぼ100点?
不可能でしょ。「不可能」という言葉が本当によぎりました。
絶望的な危機感を感じました。
いま考えれば、この危機感からのスタートは良かったのかもしれません。
根こそぎ見直さないとダメだ。痛感しました。
次の③につながります。
③とにかく字を書くのが遅い。字が汚かった。
字を早く書く練習、できるだけ綺麗に「見える字」の練習もしました。
特に毎回、必ず書く単語(出題される単語)は、どうすれば早く書け、綺麗に見えるのか、工夫し、日々意識して書いていました。
知り合いに、ある理論を書くのに、どれぐらい時間がかかるか、サンプル計測を依頼することまでしました。客観的な遅さを自覚するためです。
しかし、サンプル計測で分かったことは、私からすると字を書くのが早い方に依頼したつもりが、それほど私より書く文字数が多くなかったということです。
確かに、私は、字を書くのが遅いとしても、そもそも税理士試験は、ふつうではない、と強く感じたことを覚えています。
この経験から、邪道とはいかないまでも、完璧な正攻法ではダメだと考えなおしました。
ひらたくいえば、字を崩して書くなど、一線を超えない範囲で、ギリギリまでそぎ落とさないと勝負にならないという考え方で実践(模試)を繰り返していました。
④全国公開模試の成績は、上位3.9%でした(合格の年)。
通常の答練(上級クラス)の成績は、2~10%でした。
⑤試験委員の先生は、実質の1年目(A判定)と2年目(合格)同じでした。
何年分も過去問題を解いていないので分かりませんが、この試験委員の先生は、綺麗な問題(易しいということではなく、ガチャガチャした感じがなく、考え抜かれた、連動性のある綺麗な問題)を作成する方だと感じていました(実質の1年目の試験の感想)。
そのため、2年目(合格の年)は、さらに、考え抜かれた、非常に怖い問題を出題してくるだろうと思っていました。このことは、下記⑥にも影響しています。
⑥学校成績がよい年ほど・・
想定していなかった本試験となる(簿記論受験時の感想)ことがあり、酒税法でも、それを想定していた。
まして試験委員の先生が上記⑤のような方なのでなおさら意識していた(酒税法2でも触れましたが、合格した2018年の酒税法試験では、大手予備校で模範解答が大きく割れるという極めて珍しい出題が実際にありました)
⑦理論は全て覚えて本試験に持っていったと言いたい(酒税法2でも触れましたが、精度の高低はあるにせよ、テキストに載ってない部分までもっていった理論もあります)。
⑧理論暗記に極めて苦手意識を持っていた。
理論暗記について、他科目では、通常一週間で覚えられる1つの項目を1年経っても覚えられなかった。
苦手というより、理論暗記する気がない、に近いかもしれません。
ただ、苦手意識は確実にありました。
10年以上(20年近く)自覚していたので、酒税法にたどり着いたら、その言い訳は通用しないよ。
この覚悟が、年々増していったことは、退路を断つことができた、という意味で大きかったかもしれません。
理論暗記については、酒税法2の途中で触れています。
もっと具体的な内容については、別で書く機会があればよいな・・。と思っています。
書くならきちんと書きたいので、いつ投稿するか、投稿しないかもしれないので悪しからず。
⑨理論がある科目については、23才の時、酒税法(お酒が好きだったこともある)を必ず合格すると決めていた(いや。酒税法に辿り着いたのは38歳です・・)。
⑩人のせいにしない。
簿記論の試験で、専門学校で対策していなかった部分が出題され、なんとなく人のせいにしたくなることがありました。
その回で合格しなければ諦めると考えていた回でした。
不合格(当時でいうA判定)でした。
暗澹たる想いで、これが人生、ここからが本当の勝負、本当にあと1回だけ振り絞って受験しよう(もちろん合格するつもりで)。
このA判定の翌年、簿記論合格です。
このことから学んだことは、
合格するのは自分。
専門学校を全て信じるのは90%部分だけ。
最後の最後、本試験でどう判断するか(必ず見たことがない、合否を分ける出題があるため)、10%は、「当たり前ですが」自己責任でする、と決めていた。
書けば当たり前なのですが、なかなかそういう思考になるのが難しかったです。
簿記論での経験が活きました。
未だに2018年の酒税法の本試験の酒類Cが清酒なのかリキュールなのかは、公式解答が分かりませんが(現状では、模範解答は国税庁から発表されない)、この10%部分の覚悟ができていた。
(蛇足:当日の恐怖のあれこれ)
・電卓が壊れたら
・体調が急に悪くなったら
・一番怖かったのは、これ。
開始1時間30分ぐらいのタイミングで腱鞘炎になったら、です。
模試中は何度かあり、やはり、得点が伸びないです。ホント手が動かない。
しかも、今日はなりそうだとか、ならなそうだとか、が、全然予測できない。
今日は大丈夫そうだと思ってもなる。解いていかないと分からない、解答すること以外のプレッシャーはこれでした。
これらの点については、当日おこらなかったので、運がよかったと思っています。
合格発表までの恐怖は、酒税法2で書いたとおりですが、試験を無事受験し終えたとき、
支えてくれた家族、応援してくれた職場の人、学校の先生、知人や友人に心から感謝の念が沸いてきました。
言葉でいうのは簡単ですが、自分も死に物狂いで頑張りました。
しかし、この支えがなかったら本当に辿り着けなかった。心底おもいました。
この感謝は、今さらに強くなっていますし、今、こうして書かせて頂いている瞬間にも当時の気持ちが蘇ってきます。
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