プロフィール

草野 岳(Kusano Gaku)

1978年4月8日生まれ

杉並区立中瀬中学校 卒業

國學院大學久我山高校 卒業

國學院大學(経済学部) 卒業

東亜大学大学院(法学専攻) 修了

専修大学大学院(会計学専攻) 修了

税理士試験取得科目(5科目)簿記論・酒税法合格、財務諸表論・所得税法・法人税法認定

2022年3月23日税理士登録

■今・将来に繋がるサッカーを通じて学んだこと

・難しい人たちをまとめるには勢いが必要

・技術職の人たちをプレイングマネージャーとしてまとめるには技術のほうが必要

・基礎が大事

・利き足の反対も使えると2倍以上の力が発揮できる

・ゴールキーパーは素晴らしいポジション

■今・将来に繋がる会社(CAN)で経験できた、ありがたかったこと

・13年間にわたる簿記等の講義を通じ1,000名以上の素晴らしい受講生に出会えたこと

・1回あたり200名以上の前で講義するという経験

・誰もが知る複数の一流企業で新人研修するという経験

・少人数に対してディスカッション形式で講義して合格結果を出すという経験

・社会人になってからは初めてと言える戦友と呼べる人に出会えたこと

・会社単位の財務会計、管理会計どちらも1人ですべて推進するという経験

・会社経営の厳しさ、難しさ、会社の浮き沈みに十数年間、事業承継も含めて当事者の1人として関わるという経験

■本を執筆して分かったこと

・分かりやすさを追求したうえで、文字数を極限まで減らすと、シンプルな表現になる。

1.小学校から大学まで

 大学卒業までサッカー部でした。好きな選手は、元デンマーク代表ピーター・シュマイケル、元イタリア代表ジャン・ルイジ・ブッフォン。2人ともゴールキーパーです。

 小6でキャプテン、学校では学年代表、中3時もキャプテン、学校では生徒会副会長(副キャプテンが会長という関係)、しかし、普段は、ハチャメチャでした。

 高校と大学の7年間を一言で表すと「我慢」の2文字です。技術がすべてという世界を経験できたことは大きかったです。高校サッカー選手権大会(東京代表)の試合に選手として出場できたことは、チームメイトや関係者の皆様のおかげです。心から感謝しています。我慢しない、という選択肢もありましたが、我慢して良かったと思っています。これが無ければ今の自分はありません。

2.簿記論時代

 詳細は、ブログに書きます。どんな苦難も乗り越えられるのではないか、試されている、人生を教わった科目です。9年かかりました。この1科目に合格するまで。

3.酒税法時代

 詳細は、ブログに書きます。私のそれまでの受験ノウハウ全てを注ぎこんで渾身の力で合格を勝ち取れたと思います。学習期間は2年3ヶ月、3回目(1回目は3ヶ月の独学)で合格できました。

4.大学院時代(東亜大学大学院 法学専攻

 知る人ぞ知る、この業界の巨人のような存在です。法律の学習自体はじめてに近かったこともありますが、本当に大変な3年間でした。2年修了に全力を尽くしましたがダメでした。時間が足りなかったのではなく、私にとって修士論文の壁は本当に高く厚いものでした。1年留年しています。先生は厳しくも修了後は暖かく、また、一緒に入学した仲間、修了時の仲間、みなさんにはとても良くしてもらいました。法律全般について、ひらたく言えば基礎から応用まで体系的に非常に細やかに、きちんと学ぶことができました。学びという点では、これほど有意義な時間があるのか、というぐらい充実していました。

 PS 

国民政策金融公庫から学費を借りながら過ごしましたが、2年修了できなかったときの焦燥はこれまでにないものでした。会社では、融資を受ける際の手続き、事業計画など多方面に関わってきましたが、見通しが立っていないのに借入が増える怖さを、身をもって知ることができました。とても重要な経験だったと思っています。

5.講師時代および現在

 20代のとき大手会計専門校で全国No1を獲得(受講生講師満足度評価)

自信はなくとも常に必死

自信はついても直ぐ崩壊するのでまた必死で向き合い続ける。

●よく聞かれること(税理士を目指すきっかけは?)●


1.同じだった。

ウソではありません。ホントです。

小学校4,5年生ぐらいです。

ゴールキーパーの芸術性

お金の流れ(ライン)

同じだと思った。

奥が深く、芸術性、スピード感があって面白いと思った。

お金の流れをつかむプロになりたいと思ったのがこの頃です。

今でも、どう同じなのか、論理的には説明できません(笑)。

簿記という学問は、もちろん当時、知りませんでした。



2.簿記との出会い、挫折、東海林先生(國學院大學)との出会い


(1)簿記との出会

19歳、必修に「ボキ」があるので申込みしただけ。

初回、「これだ~」触りの説明を聞いてそう感じました。


(2)挫折

全部出席、試験は恐らくゼロ点、単位を落とす。

これほどまで理解できないものは初めて。

思い描いていたものに出会っただけにショックでした。


(3)東海林先生との出会い

簿記から離れる。

3年生になり、必修「ボキ」が頭をよぎる。

友人に聞く。

「おれボキ落としてる。分かりやすい先生いるかな」

「ショウジ先生は分かりやすいよ」

私の心の中

「聞いておいてなんだけど、理解できないだろうな~。でもショウジ先生を受けよう」

道が開けました。

分かりやすかったです。

また、それぞれが綺麗に繋がっていく過程や、その結果に奥深さを感じました。

しかも、決まっているパターンがあるわけではなく、無限の可能性がある。

まさに芸術にふさわしいと確信を持ちました。

この後、税理士科目簿記論に出会うまでは、比較的順調だったのではないでしょうか。

簿記論についてはブログで書きます。

PS

 ドイツの文豪ゲーテは、「簿記は芸術である」、と述べているそうです。10年以上あとに、このことを知りました。おこがましくも、そう考えている超有名人がいることを知り、なんとなく嬉しくなりました。